Clamo

somewhere I can see the stars

目の前のことに一生懸命に。純粋な青臭さで不器用に、たまに休みながら。

 

 

えー、こちらの記事はタイトルだけ書き込んで投稿したものなんです。なんせあの時はもう眠くて。

 

そういえば私は衝動的です。あ、これしたい、と思えばすぐにやらないと気が済まないのです。特にこういう書きものはすぐに書かないと忘れてしまうでしょ。ピン!と来たのにやらないっていうのはもったいないと思うんですよね。ま、大多数の人がそうなのかもしれません。わたしはそういう人種なので、そうじゃない人の気持ちはよく分かりません😑

だから、ブログに関していえば、後々書く記事のリストというのはメモしていても結局しないということが多いですね。だってそのときの自分の気持ちがそこに入り込めなかったら書いてもその文章には価値がないと思ってしまいます。

ま、皆そんなもんですかね。

よく分かりませんが、だから、わたしは人種的に言えば、大きなことを成し遂げられない人間なのかなと思うわけです。だって大きなことを成し遂げようとすると、長期的な計画が必要でしょ?

長期的な計画とか、未来設計図とか、大の苦手です。将来のことよりも現在のことに目が行くし、そのほうが楽しいと感じる。遠い未来に得られる結果よりも現在の快楽や価値観のほうを優先します。

それに細々としたことよりも大枠だけ気になります。

だから未来の漠然とした目標、このブログの説明にも書いてある「星空の見える場所でのんびりと暮らすことが夢」みたいな漠然とした、大枠の未来にはワクワクするんですけど、そこへたどり着くための綿密な計画とか立てないし、そんなのどうでもいいし、むしろ、そのときそのときの自分の価値観や心の声に耳を澄ませば、ゴールに辿り着けると思ってます。

それは今までもそうだったし、今も実際にそうだし、これからだって変わらない。変わるつもりはありませんからね。アドラーの考えた心理学は、「目的があってそこに意味付けをする」ですからね。

 

 

 

しばらく何もせずゆっくりしていたのですが、最近スーパーのお惣菜のバイトを始めました。

たことがあるのは公文の採点のバイトだけ。小中学校の頃、通っていた教室でのバイト。先生は顔見知りの人だけ、小さな教室ですし、皆さん優しくしてくださったし、週2で2時間くらいしか働かなかったので(その頃は学校も通ってましたし)給与も月に1万ちょっととか。

ほぼ社会経験と言えるほどのバイトではなかったです、わたしにとっては。

 

 

しかし今回は初めての場所で、初めての人間と、週5で1日5時間。わたしにとっては十分です、社会経験として。

 

仕事ってこんなにしんどいものなのかと実感しました。まず5時間ずっと立っているのがしんどかった。手作りなので、使った調理器具を洗うという仕事内容なんですが、5時間ずっと洗いっぱなし。働き始めてから2週間くらいは要領を掴んだり、どこで手を抜くのかを考えたりするので大変でした。やることはいっぱいあって、時間ギリギリでした。

 

その中で、こんなことの重要度がどれだけ大きいのか?とか、つまりは私がしている仕事の意味を考えていたんですね。

その他では、この仕事の「時間との勝負」という面を、「ああ、これが、利益と効率化を追求し続けた近代の資本主義の到着点か」と、さも分かっているかのように俯瞰したりー本当は資本主義の「し」の字も分かってないんですけどねー。

 

とにかくこの仕事や社会について知ったかぶりをして、蔑んだ目で見ている部分があったんです。

 

たぶん、別にそう思うことは悪くないんです。ただ、『彼らは間違っていて自分が正しいのだ』という認識はよくないんですよね、きっと。

 

そういった部分が、タイトルで言う、私の思う『青臭さ』です。

若気の至り、とかいうやつですかね?間違ってるかな、

 

 

 

でも1ヶ月過ぎた今では、そういった『彼らは間違っていて...』というのは違うなとら思い始めています。

理不尽さやグレーゾーンがたくさんある世界で私は生まれ、生かされているし、たとてそれを見つめたくないと思っても、それは無理な話。目を逸らしたいのなら、それはこの社会で生きていけないということを比喩的に意味します。

だから受け入れる。たとえ、自分の理想とは違っても、与えられなかったものに目を向けているだけでは物事は進展しない。私たちにできることは、今を生きることだけだから。

 

 

そういうふうに、少しは受け入れることが出来たので、こんなふうにブログにすることが出来ましたとさ。